コロリの慰霊碑
今日は、仕事の予定がキャンセルになったので、半年振りの休日となっています。
ブラブラしながら訪れた舘鼻公園
急にどしゃ降りとなりました。
展望台の手前にあった案内板
あの石のようです。
日本で初めてコレラが流行したのは1822年(江戸後期)
長崎とジャワ島との間を往復するオランダ船の船員から発生し、大流行したとか。
この時は、江戸に入り込む前に終息したようです。
その後、何度も大流行があり、明治19年の大流行では、死者が10万人を越えたのだとか。
八戸での流行は、出稼ぎに出ていた漁師が罹患し帰郷してクラスターになったとも言われています。
そのまま大流行となり、火葬が追い付かず、患者の御遺体が、道ばたに放置されるほどの惨状だったそうです。
『死者の身体は断崖から地に還り、そして天よりその霊は再びこの世に甦る』
当時、そんな信仰があり、息のあるコレラ患者を運び、この崖の上から投げ捨てたそうで、慰霊碑はその患者さんたちへ捧げるためのようです。
そりゃ、案内板に詳細は書けませんわね。。。
『知らせでけで』
ということなのでしょうから、御供養しつつ。
市内にはいくつかコレラの供養塔などもあるみたいです。
機会があったら、リサーチして行ってみることにします。
もう1つの蕪島物語
『1945年8月17日八戸市街を空襲する』
もし、終戦が2日遅れていたら、八戸は焼け野原になっていた。
ウミネコの繁殖地 蕪島の別の一面を調べていたら、そんな事実を知らされました。
米軍から予告ビラが撒かれたそうなんです。
その別の一面とは・・・
蕪嶋神社社殿の手前
仕事終わりに行ったら、参道が閉じられてましたので、Google先生より。
こちらは海防艦『稲木』乗組員の慰霊碑
海防艦『稲木』とは?
昭和44年に造られた小型の軍艦
北方警備が任務でした。
少し話は飛びますが、今は陸続きな蕪島
大正時代までは、こんな感じでした。
昭和になり、旧日本軍の拠点となり、埋め立て工事が行われました。
現在は封鎖されていますが、蕪島には何ヵ所か海側に洞窟が掘られ、格納庫になっていたそうです。
そこに格納されていたのは潜水艦とも特攻ボートの『震洋』だったとも言われています。
当時から八戸には、セメント、鉄鋼の生産工場があり、米軍からも目をつけられる都市の一つでした。
最初の空襲は、昭和20年7月14日
①午前5時から7時
②午前9時から11時
高舘飛行場(現・八戸基地)・日東化学・尻内駅(現・八戸駅)が攻撃されました。
15日までの2日間で
死者・行方不明者452名、重軽傷者が多数という被害。
8月9日午前6時、再び八戸に米軍の戦闘機50機が飛来しました。
蕪島沖にたまたま停泊していた稲木は、たった一隻で応戦します。
しかし、急襲であったため、錨を上げる間もありませんでした。
結果、ロケット弾を集中的に浴びせられ轟沈
総員150名の内、艦長以下29名が亡くなりました。
多くの乗組員は、船から離れ泳いで逃げたため助かりましたが、当時艦長は生き残る事が許されなかったため、船と運命を共にしたそうです。
八戸の街に降り注ぐはずであったロケット弾を稲木が受けたことで街には被害がありませんでした。
その後、この話は『八戸の盾』として語り継がれることになります。
1964年(昭和39年)船が引き上げられ、遺族には、遺骨として国より小石が1つだけ入った遺骨箱が贈られたそうです。
蕪島に何となく軍艦の慰霊碑があることは認識していましたが、詳細までは知りませんでした。
なかなか開門時間に行くことができないのですが、蕪島に上がれたら、神社の鈴と共にこの鐘を鳴らそうと思います。
Episode 0 ナゾのホコラ
今回の『九郎権現』解明へ至るきっかけは
とある方から得た、昔見たという謎の祠の情報でした。
総仕上げとして、そこへ行こうと思いましたが・・・
詳細な場所が思い出せないとのこと。
この辺りだったような・・・という情報を元に・・・そういえば、あの崖から小さい鳥居が見えてたっけ。
その場所がお互いにシンクロしました🌬️🐉
入口へ・・・
あぁ・・・モロ民家。。。
さすがに諦めました😆
そんなホコラを探していた時に・・・
何となく蓮沼神社の辺りをストリートビュー先生で見ていたら、まだ行ってなかった摂社を見つけたので、そちらへ行ってみることに。
蓮沼神社の鳥居下
コチラです。
おぉ~!
出羽三山でしたか😆👍
そして、隣にも祠
中を見てみたら大黒さんの面が飾られていたので、大黒さんかもしれません。
奥に続く道。
その先に階段がありました。
下へ行く階段は閉鎖中です。
上に行く階段は通れそうです。
あら?ここでしたか!
八太郎公園です🐳
今は工業地帯ですが、かつて湿地と大小たくさん沼が広がる美しい場所であったそうです。
そして、十和田湖から今は八郎潟の主となった八郎太郎生誕の伝説が残る地でもあります。
まぁまぁ、今日はこの辺で😆
蓮沼神社をお参りして帰ります。
ここにも義経伝説が残されています。
スタート地点へ戻りました😆
ここでお知らせです。
3月4日より毎日更新を続けていた、このブログ。
記事のネタ集め、編集に終始する事で
◯終活カウンセラーの資格取得
◯修行生活の準備
など、優先課題に取り組む時間確保が困難な状態になっております。
そのため、毎日の更新は一旦終了します。
まったく更新しないというわけじゃないですよ😆
たまにネタが出てきたら載っけますよ☀️
完結編 高舘
今朝、ジムへ行こうとクルマを走らせていたら・・・
あ・・・
コインランドリー行くんだった。。。
今日、仕事で使う服を洗濯してなかったことを思い出し、ジムの前を通過しました。
そのまま馬淵川にかかる橋へ・・・
すると・・・
あれ?着るのは明日だったな。。。
ジムへ引き返す気も起きなかったので、長寿温泉♨️に入って洗濯待ってる間に小田八幡宮をお詣りしようとなりました。
昨日のブログ投稿後、お仲間と神社についてのやりとりをしていたら、義経北行伝説についての話題で盛り上がりました。
そんなこともあり、伝説の地の1つで
まだ行ってなかった神社へ、温泉入ってるあたりから行きたくなり・・・
来ました😆
高舘蒼前稲荷神社
義経さん一行が居を構えたとされる地です。
正面がお稲荷さん🦊
左手が蒼前さん🐴
相変わらず連れ回されますね😆
温泉でアタマを洗っていた時・・・
『あぁーっ!!(゜ロ゜ノ)ノ』
となって、ココに移動です。
御嶽龍神さん
お水を頂きました⛲
以前から謎が解けずにいた社殿脇に祭られている『九郎権現』の祠
九郎・・・
源義経さんの別名でしたね😆👍
源九郎判官義経👍
謎は解けたり☘️
というワケで小田八幡宮へ
ココが拠点です
何だかスッキリな朝です😆
今日も夕方ジムへいきましょ💪
続編 🌲🌲🌲⛩️
昨夕訪れた御日月神社
その案内板に書かれていた赤線の箇所
三本杉の神社というところがあるようでしたが・・・
昨日は見つけられずでした。
もう一方のほたる崎の神社とは蓮沼神社のことみたいです。
そんな昨夜、ブログの記事を編集していたら・・・
あれっ!
すぐ近くにありました😆
こんな感じで丘の斜面に沿って並んでいます。
今日はトレーニングを夕方に回して再訪です💪
御日月神社前の急坂を上った先にあるこの場所
昨日、眺めのいい景色をパチリ📸やったところです。
反対側の道からも来れるようです。
その丘のフェンス沿いを奥に進むと
観音さまがお出迎えしてくれました。
その隣には・・・
どなたかな?
どうも、この御像は同じ方が奉納したようです。
こちらが三本杉神社
その名の通り三本杉があるかと思いましたが・・・
社殿内の額に写真がありました。
『三本杉三頭大神』
という名前の神様です。
何があったのかは、わかりませんでしたが、今は無くなってしまった三本杉さんです。
社殿の中に数本の杉の枝が置いてありました。
「あちきは廓(くるわ)の中の籠の鳥でありんした」
まるで『JIN‐仁』に登場するタイムスリップの崖のような景色
やっぱり、ちょっと不思議な場所です。
御☀️🌔⛩️
ちょいと仕事の関係で八太郎の方に来ていましたら、ふと前々から気になる神社の事を思い出しました。
この界隈は狭くエグい坂道が多いです。
ここもその一つ
八太郎トンネルの近く
いや、ラーメン家系家の近く
御日月(おにがつ)神社
案内板によりますと
祭神は『日』と『月』
つまり『アマテラス☀️』と『ツクヨミ🌔』
その昔より人々が御祓をしたという井戸水
階段を上っていたら・・・
ブワァーーーーーッ!!
バラバラバラバラッ!!
天狗さんの仕業ですな😆
間もなく社殿が見えてきました。
中に入れました。
今も地域の方にお守りされていて綺麗でした。
何の形に見えますかな?
御嶽龍神がいる小館から
小田八幡宮
御日月神社を通って蓮沼神社
このラインは不思議な雰囲気の場所が多いです。
高尾山くらいな修験の山でもいいような?
何故宅地開発されているのか・・・
そのくらい神聖な場所に思えます。