お遍路ニストたいようの筋肉な日記

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コロリの慰霊碑

今日は、仕事の予定がキャンセルになったので、半年振りの休日となっています。
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ブラブラしながら訪れた舘鼻公園


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急にどしゃ降りとなりました。

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展望台の手前にあった案内板


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あの石のようです。


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日本で初めてコレラが流行したのは1822年(江戸後期)

長崎とジャワ島との間を往復するオランダ船の船員から発生し、大流行したとか。

この時は、江戸に入り込む前に終息したようです。

その後、何度も大流行があり、明治19年の大流行では、死者が10万人を越えたのだとか。


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八戸での流行は、出稼ぎに出ていた漁師が罹患し帰郷してクラスターになったとも言われています。

そのまま大流行となり、火葬が追い付かず、患者の御遺体が、道ばたに放置されるほどの惨状だったそうです。

 

『死者の身体は断崖から地に還り、そして天よりその霊は再びこの世に甦る』

 

当時、そんな信仰があり、息のあるコレラ患者を運び、この崖の上から投げ捨てたそうで、慰霊碑はその患者さんたちへ捧げるためのようです。


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そりゃ、案内板に詳細は書けませんわね。。。

『知らせでけで』

ということなのでしょうから、御供養しつつ。

市内にはいくつかコレラの供養塔などもあるみたいです。

機会があったら、リサーチして行ってみることにします。